
20周年特別企画
キャプテンが語るスピンマスターズの
過去、現在、未来
2020年で結成から20周年を迎えたスピンマスターズ。新型コロナウイルスの世界的な感染拡大で活動休止を余儀なくされていますが、設立当時を唯一知り、チームを支えてきたキャプテンがチームについて大いに語ります!! (たぶん)
[概要]
静岡県浜松市を本拠地として活動中
略称は「スピマ」
設立 2000年1月1日
主な練習先は富塚協働センター体育館。
毎週金曜日の夜に活動中
[チーム名の由来]
キャプテンが学生の時、遊びに行った遊園地のアトラクションから名付けられた。
(東京ジョイポリスの回転系アトラクション)
初期は背の低いメンバーが多く、小さくてもすばしっこいイメージが
アトラクションの動きに近かったため選んだと思われる。
[初期 2000年~2005年]
元々はキャプテンが他のチームに参加していた。
しかし他のメンバーと仲良くできず(悲しい)。。。
しばらく頑張って通っていたが、どうもなじめず断念。
それならば自分でチームを作ろうと動き出す。
2000年1月1日に創部!!
最初はお決まり(?)の地元中学の同級生が集まって結成される。
他にもキャプテンの奥さん(小中高校とバスケ経験者)のお友達も参加。
当初は男女和気あいあいとしたサークルのような活動であった。
しかしメンバーが毎週そろわなくなる。
そのため地元の情報誌などでメンバーを募集。
そこから少し参加人数が増え、細々と活動をする。
2003年9月にホームページスタート。さらに新たなメンバーの募集をする。
当時浜松ではまだバスケのホームページを開設していた人が少なく、
「バスケがしたいです」という若い方からの申込が増えた。
ほどなく平均年齢がどんどん下がっていく。そこから若干の無法地帯に。
結果キャプテン含め、旧メンバーが練習についていけなくなる(ありがち)。
ここでキャプテンの奥さんが若いメンバーのわがままな態度にブチギレ。
この時点で真のキャプテンが決定する(影のキャプテンの誕生)。
以降30歳以上限定のチームに変更。
しかし参加メンバーも安定せず、平均7,8人の人数での練習となる。
特に冬の時期は4,5人で練習することもざらであった。。。
[中期(?) 2006年~2012年]
ホームページを見て参加した人が月に一人程度参加するようになる。
併せて練習試合も2か月に一回のペースで行われる。
このころは結成当時のメンバーとホームページで参加人が混在。
そのためか参加数も不安定な状態がしばらく続く。
2007年Kむらさんが参加。
その後浜松の単身赴任終了後、チームを結成(トーアメック)。
これが今でも年1回定期的に試合を行っている。
2011年4月Fっしー(あにき)が参加。(スピマ第2期)
不安定なチーム状況の中、Fっしーが参加。
これが大きな転換期となる(影のキャプテン談)
今までチーム運営(場所確保、会計など)は、すべて代表(キャプテン)が担当していた。
その中で飲み会やボウリング大会の企画、ユニフォーム作成など新たな企画を提案。
これがチーム運営、分業化のきっかけとなる。
しかししばらくは参加人数が安定せず、第2期冬の時代が続く。